✨69号よりスタートした広報誌誌『BRIDGE』の特集ページを、このブログにてより詳しくご紹介させていただきます✨
担当しますのは、法人本部:事業企画課の永山と申します。『ゆうかり』のことをより多くの方々に知っていただけますよう、沢山のほっこりを届けてまいります。どうぞよろしくお願いいたします。
🐖🐄【畜産の始まり】🐖🐄
ゆうかり学園の畜産は昭和42年に学園で出る残菜処理の目的で数頭の豚を飼ったことと先代が牧場をしたいという想いからスタートしました。その後、昭和53年に子牛3頭を購入し、生産牛として飼育を始めたのが畜産班の誕生となります。その当時は設備も乏しく、牛に与える牧草をリアカーで引いて遠くにある農場まで刈りに行く作業で一日が終了していたようです。昭和56年頃から畜舎の造成及び大改築により多頭飼育可能なストール豚舎の設置、平成3年にはスタンチョン導入(牛の頚部を挟んで安定させるつなぎ止め具)により画期的な畜舎に生まれ変わり、徐々に規模拡大を行ないました。
子牛のせり市では最高額を出したこともあり「ゆうかり牛」が知られるきっかけとなりました。ゆうかり豚は平成4年に鹿児島中央畜産農協連主催の春季共進会でベテラン畜産の豚たちに混ざって、ゆうかり豚が1位、2位を独占しました。畜産班皆で育てた豚が評価されたことに拍手しながら喜びを分かち合ったようです。評価された内容は『豚の生理に会った餌の与え方・適度な運動がされている・能力を引き出す技術水準が高い』と評価されたようです。また、平成28年6月30日には農場の衛生環境が良いとの事で、『かごしま畜産の日』実行委員会より豚部門で優秀賞をいただきました。
素晴らしい評価をいただいた一方で、ゆうかり牛が夜中に集団脱走事件を起こすというエピソードもあったようです。自然豊かな岡之原であっても牛が集団で脱走したとなると・・・想像しただけでも、とんでもなく大変なことですよね。ゆうかり学園のスタッフ総勢で走り回ったに違いありません! 畜産の牛豚脱走事件は小規模なものはたまにあるようで、『道路を牛が歩いている』『豚がいる』という近隣住民の方々のご連絡のご協力によりスタッフと利用者のみなさんで無事保護出来ているようです。豚牛が逃走したときに対応したことがあるスタッフによると、豚はまだいいが、牛が難しかったとのこと。同じようにその当時畜産班だった利用者さんからは『そらもぉ~大変だったのよ』と保護するときには長い竹の棒で後ろから追いながら、曲がり角時には曲がるように追い詰めていかないといけないから必死だったと経験を聞かせてもらいました。ゆうかり牛は田作を破り、崖を登ってグループホームのきんもくせいがあるところまで逃走していたのを発見したこともあったようです。このように近隣の方々のご協力によって支えられてきたんですね。
ちなみに永山も飼っていた牛と玄関前で遭遇したことがありますが、普段から慣れていても逃げた牛に出くわすと恐ろしくて、大声で祖父に助けを求めた記憶があります。ゆうかり牛集団脱走事件の当時を知りませんが、ゆうかり学園周辺の地域住民の方々で逃げた牛にバッタリ遭遇してしまったという人もいるかもしれませんね。