食と命の関係を知る中で感じること

 

ゆうかり学園では開設当初からに給食の残渣を食べてもらうために豚の飼育をはじめ、昭和50年代に鹿児島県からの依頼をうけて黒豚への転換をはかりました。 その数年後に牛の飼育も始まりました。

 

この長い歴史の中、私は7年前の35歳の時に知人の紹介で入職しました。当初、施設に畜産部がある事は知っていましたが、実際に豚と牛を飼育している所を見ると黒豚の飼育数に驚き、急斜面に建てられた豚舎では百五十頭以上飼育されている黒豚に圧倒されました。畜産が盛んな鹿児島においても障害者施設に畜産部がある事は珍しいようで、そんなゆうかり学園で働く事にやりがいを感じていました。入職後は主に園内の利用者の支援を行なっていました。2年程前に畜産部に配属され、利用者の方と一緒に畜舎の掃除や給餌等のお手伝いをしています。時には出産に立ち会うこともあります。産まれたての豚はまず、最初の乳(初乳)を摂取しないと子豚が虚弱になると言われており、出産時にはそのサポートも行っています。育成中も去勢や様々な病気に気を付け、10カ月間丁寧に飼育しています。給餌に関しては朝は黒豚専用の飼料を与え、夕の給餌は以前、近くの学校などから頂いた残飯を与えていましたが、ここ数年、豚熱(豚コレラ)の流行により残飯などは回収後に煮沸してから与えるようになり、煮沸・冷蔵する機材の問題や手間等を考慮し、現在は夕の給餌には芋の加工業者から頂いた芋を飼料と混ぜて与えています。現在飼料高騰により廃業される養豚場もあり、厳しい状況が続いていると関係者から聞いています。

 

現在、畜産部に9名の方が所属されています。20年以上、畜産班に配属されている利用者のMさんは当時、畜舎の掃除や利用者同士のコミュニケーションも難しい状況だったそうですが、職員のサポートもあり豚や牛のお世話をする中で徐々に作業内容を覚えたそうで、今では豚舎の清掃や職員と一緒に牧草積みの作業など、自発的に動かれ職員のサポートをされています。土・日等の休日にも関わらず畜舎へ出向き、管理を手伝ってくれます。また、人付き合いが苦手だったMさんですが、仲の良い利用者の方と冗談を言いながら協力して作業を行っている姿が多々見られるようになりました。

 

通所利用されているFさんは、私が入職した当初から畜産部に所属されていますが、当時は利用者間のトラブルや体力使う作業の翌日には休むことも多く、なかなか環境に馴染めないこともありました。そんな中、職員とのコミュニケーションや産まれた子牛にFさんの名前を付けたことでやる気も徐々に増し今では自ら班長を希望されるなど積極的に行動され畜産部をまとめてくれる存在になられています。

 

近年、利用者の方々の高齢化により所属人員も減り、以前よりも作業効率が悪くなっているのが現状です。以前は豚の種付けが出来る利用者の方もいらっしゃいましたが、今後は利用者の方々が黒豚や牛の飼育に携わることができて良かった、と思えるよう寄り添いながら支援していきたいです。

 

育てた黒豚の食に関して畜産部に携わった当初は、豚肉を食べられなくなるのでは?と思いましたが小さい頃に祖父の家でニワトリを飼育していたこともあり、正月などに捌いて食べていました。生き物を食べることに関しては現在も抵抗はありません。豚と鳥とでは大きな違いがあるかもしれませんが「命を頂く」という事に関しては同じだと思います。その時は感じませんでしたが、今となっては命を頂くからには美味しく頂くことを祖父から教わったのかなと思います。畜産部に配属される前は何も考えることなく食べてきた豚肉ですが、黒豚の飼育に携わることで消費者へ出来る限り良いお肉を提供したいと思うようになりました。豚肉への意識が変化し、外食した際など他の黒豚と食べ比べることもあり、その都度ゆうかり学園で育てた黒豚の方が美味しいと実感します。ゆうかりの畜産班に40年以上在籍している職員は、途中豚肉が食べられなくなることもあったそうです。その方から豚は愛情を注げば美味しくなると教わり、日々そのことを考えながら飼育しています。  

  

今後は飼育頭数の削減などの調整を行い、利用者さんへの負担軽減を目標に取り組み、常に利用者に寄り添える支援を目指していきたいと思います。黒豚のお肉に関して、今後も改良を重ね、甘みの強い脂になるよう現在も味の向上に向けて取り組んでいます。

 

追伸

この、原稿を書き終えたあと、日中活動プロジェクト会議にて、黒豚の飼育終了が決定いたしました。担当としては悔しく、残念でしかありませんが、さいごの一頭まで、ぽぉくしょっぷでの加工をとおして、安心安全なゆうかり黒豚をみなさんにお届けできるようがんばります。

 

writer:ゆうかり学園 支援員 名越敏彦